地震の石碑 No17
尾崎一雄と壊れた鳥居

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所在地小田原市 下曽我
交通最寄駅は、JR御殿場線下曽我駅。駅をでて右に進み、下曽我郵便局前を通過して、県道716号にでる。左折し、まっすぐ進むと大鳥居が見える。
関連する史跡
  1. 震災で壊れた手水鉢
  2. 倒壊した大鳥居
  3. 尾崎一雄文学碑
元記事温泉地学研究所 観測便り第16巻
1981(昭和56)年発行

 JR御殿場線下曽我駅から東北東へ約400mの所に宗我神社の大鳥居があり、そのそばに尾崎一雄文学碑がある。そこから更に参道を300m進むと宗我神社本殿がある。宗我神社本殿の向かって右奥に、「関東大地震で割れた宗我神社の手水鉢」がある。
 実は、たまたまお会いした、宮司の泉さんに元記事の写真を見せた所、写真のものには心当たりがないが、似たようなものはあるといわれて案内していただいた。側面の「嘉永三庚戌年 五月吉日」 の文字は同じよう見えるし、正立時の上部が凹んでいることから手水鉢と思われる(元記事の写真は、手水鉢の上に棒が載っているために形が違うように見えただけだということが、後日判明)。
 また、泉さんから、尾崎一雄氏の作品「あの日この日」に延べられている通り、関東大震災の時に割れた石柱があることや、参道入り口の大鳥居は震災の前日に竣工し、震災によって倒壊したこと、その一部が境内に残っていること、現在の大鳥居の横の碑文に大鳥居の倒壊について記載されていることなどを教えていただいた。
さらに、旧大鳥居の竣工時の写真を入れたカレンダーの一部を送っていただいた。

曽我神社の大鳥居。
曽我神社の大鳥居。脇にある石碑の正面下部に、「一基大正十二年八月建立同年九月一日遭大震災而倒壊昭和二年八月復旧工事・・」という記述が見える。
倒壊した大鳥居の一部。
倒壊した大鳥居の一部。(大正)十二年と刻まれている。
元記事で、尾崎一雄氏と一緒に写っている手水鉢。
元記事で、尾崎一雄氏と一緒に写っている手水鉢。
「嘉永三庚戌年 五月吉日」の文字。
「嘉永三庚戌年 五月吉日」の文字。
震災で割れた石柱。
震災で割れた石柱。中央付近にひび割れが見える。
大鳥居竣工の写真。
大鳥居竣工の写真。翌日、関東自地震により倒壊した。

写真撮影:2012年8月15日