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更新日:2020年06月08日 作成者:ウェブ管理者 閲覧数:822

芦ノ湖の水収支に関する研究

本トピックではJournal of Hydrology; Regional Studies 誌に掲載された、芦ノ湖の水収支について検討した研究論文を紹介します。この研究は、板寺研究員が筆頭著者となり、吉田明夫静岡大学客員教授と共同で進めたものです。

紹介文献:
Itadera K, Yoshida A (2020) Water budget of Lake Ashinoko, the origin of Hakone thermal waters. Journal of Hydrology; Regional Studies, 28, doi: 10.1016/j.ejrh.2020.100682
 

はじめに

 芦ノ湖は神奈川県の西部、箱根カルデラ内の南西に位置する湖です(図1)。約3000年前に発生した神山の噴火に伴う山崩れにより当時の早川がせき止められて形成されました。湖面の面積は約6.9km2、平均水深は約25mで、貯水量はおよそ1億8000万トンに及びます。
 芦ノ湖の水収支(湖への水の出入り)については2つの代表的な研究報告(箱根水質調査団(1975)とMatsuo ほか(1979))があります。どちらも年単位の水収支について検討したもので、集水域から芦ノ湖に流入していない余剰水は箱根温泉の形成に関わっていると考えられていましたが、その量については、前者は年間1500万トン、そして後者は年間250万トンと見積もっていて、両者で実に6倍もの違いがありました。
 本研究も芦ノ湖の水収支について検討したものですが、従来の研究と異なるのは月別のデータをもとに解析を行ったことです。その結果、集水域から湖に流れ込んでいない降水の割合は、これまでの研究と比べて、ずっと大きいことが明らかになりました。この大量の余剰水は、箱根の温泉の主要な源になっていると考えられます。
図1 芦ノ湖とその集水域(湖の周りの点線で囲まれた範囲)。箱根園と芦之湯は雨量計設置箇所、湖尻水門は湖の水位観測点。
 

芦ノ湖の水収支の考え方と解析に用いたデータ

 湖の水収支を検討する際には、湖に流入する水の量(入)と湖から出ていく水の量(出)とを比較します。芦ノ湖に流れ込んでいる河川はありません。一方、西側の外輪山には、江戸時代に灌漑用水を確保するためのトンネルが掘削されており、現在でもそれを使って常時取水されています(深良用水)。また、早川への流出口にあたる最下流部には湖尻水門が築かれていて、平常時は水門が閉じられているので流出はありませんが、大雨によって規定値を超える水位上昇が生じた場合などには水門が開放されて、早川への放流が行われます。
 本研究では、芦ノ湖への「入」として(1)湖面への雨(R)および(2)湖を囲む集水域への雨(Rc)とし、「出」として(3)深良用水の取水量(φd)、(4)湖面からの蒸発(φe)、さらに(5)湖の貯水量変化(ΔW)の和を取り、「入」と「出」の相関を解析しました。(※1) 解析期間は深良用水の月毎の取水量データが入手できた2005年から2013年までとしました。なお、後述するように集水域での降雨の浸透量を推定する際には、湖尻水門からの放出量も考慮しています。

検討結果

 図2に湖(集水域まで含む)への「入」(R+Rc)と「出」(ΔW+φe+φd)の月毎の推移を示しました。図2では「入」をプラス、「出」をマイナスでそれぞれ表現しており、横軸を境とした上下の形は良く似通っていることが見てとれます。ただし、量については、想定した「入」の方が「出」に比べて明らかに多いことが一見してわかります。このことは、「入」(集水域全体に降った雨)の一部しか「出」に寄与していないことを示しています。(※2)

図2 水収支における「入」と「出」の比較

 湖面に降った雨は、直接、湖の貯水量や流出量の増加につながるはずです。一方、集水域に降った雨はすぐに湖に流れ込むわけではなく、いったん地下に浸透し、地下水として湖に流入していると考えられます。そこで、集水域に過去一カ月に降った雨の量をRc(1)、二カ月前に降った雨の量をRc(2)、三カ月前に降った雨の量をRc(3)といった具合に表して、各月における湖への地下水流入量に、集水域への過去の月の降水がそれぞれどの程度関わっているかをみるために、各月の降水量に係数f、g、h・・・・・(f+g+h+・・・・=1)を掛けることで重み付けして合計し、これに湖面へ過去一ケ月に降った雨の量R(1)を加えた量を「入」として、「出」との相関が最も良くなる係数の組み合わせを調べました。その結果、f=0.732、g=0.188、h=0.080の時に相関係数が最大となって(R2 = 0.819)、それ以上、さかのぼる月数を増やしても相関は改善されず、さかのぼった月にかかる係数の値もほぼ0となることがわかりました。このことから、集水域に降った雨のうち短期的に湖に流れ込んでいるのは概ね過去三カ月の間に降った雨であるとみることができます。ここで短期的と形容したのは、図3の説明で簡単に触れているように、過去三カ月の間に降った雨に加えて、半年以上前に降って集水域の地下に貯留されていた水も一定程度流入していると推定されるためです。
図3 集水域への各月の雨量に重みづけを考慮した時の「入」と「出」との相関関係。図中に示した係数f,g,hの値は、相関係数が最大となるときの一カ月前、二カ月前、三カ月前に降った雨の寄与率を示す。また「出」と「入」の関係を示す最小二乗直線の傾きが1となるのはα=0.26のときであることから、集水域に降った雨のうち湖へ流入するのは、そのおおよそ26%と見積もられる。さらに、最小二乗直線が原点を通らずプラスの値をとるのは、半年よりもずっと以前に降った雨が地下に貯留されて定常的に流入していることを示すと考えられる。

 注目されるのは、最大の相関を与えるf、g、hの組み合わせを基に重みづけし、積算した集水域への雨量を0.26倍した時に「入」と「出」とが釣り合うことです(図3)。このことは、過去三カ月間に集水域に降った雨のうち湖に流入しているのはわずか4分の1程度であることを示しています。
 各月に集水域の地下に浸透している雨水の量は、全域(湖プラス集水域)に対する「入」と「出」との差から推定することができます。全域への「入」は降水です。また、全域からの「出」は、湖からの蒸発、集水域からの蒸発散、深良用水での取水、大雨時の湖尻水門からの放流です。これに湖の貯水量の変化も考慮して、「入」と「出」の差の毎月の変化を示したのが図4です。これらを集計した結果、集水域の地下に浸透したとみられる水の量は年平均値で3,300万トンと見積もられました。この値は集水域への降水量の約45%にあたります。また、過去の研究、例えば、箱根水質調査団(1975)の見積もりの2倍以上、Matsuo ほか(1979)の推定値の12倍以上に相当します。
 なお、各月に集水域の地下に浸透したとみられる雨水の量は。全域についてみた時の「出」「入」でなく、論文で記述されているように集水域についてみた時の「入」と「出」との差からも見積もることができます。その推定値も年平均値で3,300万トンとなり、両者はよく一致しました。

図4 集水域の地下に毎月浸透したと推定される水量

芦ノ湖の水収支解析結果と箱根の温泉水との関わり

 本研究の解析では、集水域で年間に平均して3,300万トンもの降水が地下に浸透しているという結果が得られました。この大量の浸透水はいったいどこに行っているのでしょうか? 急峻な谷が刻まれている須雲川流域に流れ込んだり、箱根カルデラ南縁の外輪山を切って芦ノ湖南端部に達している丹那断層の破砕帯に流出していたりする可能性が考えられます。また、湖尻から仙石原に滲出している地下水が存在することも指摘されています(荻野ほか、1971)。ただ、これらは合わせても、3300トンと推定された浸透水の一部に過ぎないとみられます。
 大半の浸透水の行方として本研究で注目したのは、芦ノ湖の集水域のおよそ半分を占める中央火口丘西斜面です。そこに降った雨が芦ノ湖に流入しないで、火山体の内部に浸透し、一時貯留された後、集水域の東側に流出しているとすれば、大量の浸透水の行方の問題は解消します。実際に、火山体の表層部ではたくさんの亀裂が観測されており、内部にもたくさんの割れ目が存在すると考えられています(小林、2008やHonda et al., 2014など)。また、中央火口丘の直下数km付近には多量の流体を含む領域が存在すると推定されています(Yukutake et al.,2015)。本研究では、こうした多くの研究者によるこれまでの成果をベースとして、中央火口丘の火山体内部に大量の雨水が浸透し貯留される間に、中央火口丘下に存在するとみられるマグマ溜り(例えば、代田ほか,2009、Harada et al.,2018)によって温められ、その温水が中央火口丘の東側に流出して、それが強羅地域などで開発・利用されている温泉の主要な源になっているという考えを提出しました(図5)。
図5 本研究で提案した芦ノ湖周辺域の水循環モデル

おわりに

 従来、箱根温泉については芦ノ湖の湖水が中央火口丘下を流れ通ってくる過程で温められたものとする考え方がありましたが、本研究によって、芦ノ湖の湖水は中央火口丘の東側斜面に湧出する温泉には寄与していないことが明らかになりました。箱根山の中央火口丘下にはマグマだまりが存在していることが知られています。そこから供給される熱エネルギーは、本研究で山体内部に浸透すると推定されたおよそ3000万トン/年の雨水を100℃以上に温めるのに十分と考えられるので、中央火口丘への降水の浸透と貯留、そしてそこで稼働している、熱水の形成・循環システムが何らかの異変によって止まってしまわない限り、箱根の温泉の源が近い将来に枯渇してしまう心配はないと考えられます。本研究で行ったことは、芦ノ湖への水の「入」と「出」を比べるというシンプルな解析ですが、その結果は箱根温泉の成因や将来予想にも関わるものとなりました。

参考文献

  • 代田寧, 棚田俊收, 丹保俊哉, 伊東博, 原田昌武, 萬年一剛, 2001年箱根群発地震活動に伴う傾斜変動と圧力源の時間変化, 火山, 54(5), 223-234, 2009.
  • 箱根水質調査団, 箱根カルデラ河川流出水の溶存成分に対する温泉の影響について, 神奈川温研報告, 6(2), 87-116, 1975.
  • Harada M., R. Doke, K. Mannen, K. Itadera, M. Satomura, Temporal changes in inflation sources during the 2015 unrest and eruption of Hakone volcano, Japan, Earth, Planets Space, 70:152. doi: 10.1186/s40623-018-0923-4, 2018.
  • Honda, R., Y. Yukutake, A. Yoshida, M. Harada, K. Miyaoka, and M. Satomura, Stress-induced spatiotemporal variations in anisotropic structures beneath Hakone volcano, Japan, detected by S-wave splitting: A tool for volcanic activity monitoring, J. Geophys. Res. Solid Earth, 119, 7043?7057, doi:10.1002/2014JB010978, 2014.
  • 小林 淳, 箱根火山中央火口丘群の噴火史とカルデラ内の地形発達史 ―噴火活動と密接な関連を有する地形―, 神奈川県立博物館調査研究報告(自然科学), 13, 43-60, 2008.
  • Matsuo, S., M. Kusakabe, N. Niwano, T. Hirano, Y. Oki, Water budget in the Hakone caldera using hydrogen and oxygen isotope ratios, Isotopes in lake studies, 131-144. IAEA, Vienna, 1979.
  • 荻野喜作, 大木靖衛, 小鷹滋郎, 小沢清, 広田茂, 河西正男, 箱根湖尻付近の地下水, 神奈川温研報告, 2(3), 109-120, 1971.
  • Yukutake Y., R. Honda, M. Harada, R. Arai, M. Matsubara, A magma-hydrothermal system beneath Hakone Volcano, central Japan, revealed by highly resolved velocity structures. J. Geophys. Res. Solid Earth 120:3293?3308. https://doi.org/10.1002/2014JB011856, 2015.
(※1)それぞれの項目の月ごとの量は次のように算出しました。
(1)湖面への雨量(R):神奈川県が芦ノ湖畔(箱根園)に設置している雨量計のデータ
(2)湖を囲む流域斜面への雨量(Rc):芦之湯に設置された気象庁のAMeDAS箱根観測点の雨量データを元に算出
(3)深良トンネル経由の流出(φd):静岡県芦湖水利組合による月別平均流量を元に算出
(4)湖面からの蒸発(φe):気候学的データを用いた推定式により算出
(5)湖の貯水量変化(⊿W):湖の水位の連続記録をもとに算出
 湖からの「出」としては、このほかに大雨時における湖尻水門からの放流水があります。

(※2)図2に示したのと同じデータを用い、横軸に「入」、縦軸に「出」をとって月ごとの値をプロットすると、「入」が1000万トン/月を超えない範囲では、「入」と「出」の間に比較的良い相関(相関係数は0.67)がみられますが、「入」が1000万トン/月を超えると「出」が頭打ちとなり横ばい傾向を示しました。このことは、「入」が1000万トン/月を超えると、湖尻水門からの放流が行われることを表していると考えられます。このため、本研究では「入」が1000万トン/月を超えない月を対象として「入」と「出」の相関解析を行いました。ただし、集水域への降水の浸透量の見積もりに当たっては、本文に記述したように、湖尻水門からの放流水についても考慮しています。

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