箱根群発地震活動の特徴についての研究
このトピックスは、火山学会誌「火山」に掲載された、本多亮・伊東博・行竹洋平・原田昌武・吉田明夫の共著による論文「S-P時間を用いた再解析によって明らかになった1970年代の箱根群発震源域の特徴〜最近の群発震源域との比較」をまとめたものです。
引用文献:
本多亮・伊東博・行竹洋平・原田昌武・吉田明夫, 火山 第56巻第1号(2011),1-17.
1. はじめに
一般に、日本の火山における観測網は1990年ごろから高密度化、高精度化が進み、それ以前に比較して格段に詳細な解析が行われるようになってきました。その一方、火山の活動周期が20年以上の長さを持つことはざらで、中・長期的な火山活動の評価が求められる今日においては、できうるかぎり古い記録に戻って過去の活動を定量的に再評価する必要があります。 箱根火山では1959年から60年にかけての群発地震の際に、東京大学地震研究所の水上教授らによる地震観測が行われました. このときに展開された観測網の一部は、神奈川県土木事務所に引き継がれ、日本で3番目の火山観測施設となりました。 その後、1966年に再び大規模な群発地震活動が発生し、翌年に温泉の顕著な昇温現象が観測されて、温泉と火山活動を総合的に研究することの重要性が認識され、1968年に地震観測業務が神奈川県温泉研究所(現在の温泉地学研究所)に移管されて現在に至っています。すなわち、箱根火山は50年近い観測記録がある、極めて貴重な火山の一つです。 現在の観測網が整備された1989年以降、微小地震の震源は南北に並ぶ中央火口丘下とその西側に分布しています。 しかし、1970年代、80年代の震源は、大涌谷を中心とした領域に震源が決められていました。つまり、地震の震源域が広がっているように見えますが、はたしてこれが本当かどうかを確認するのが、本研究の目的でした。
2. 震源分布の変遷

図1 観測点分布図

図2 震源分布図(1970年代)
図1は、1968年および現在の温泉地学研究所(以下,温地研)の地震観測点の分布です。温地研での観測開始当初は、水上教授らによる観測点及び観測装置等を継承しており、1968年から1989年まではセンサーや記録器に多少の変更があるものの、観測点の位置は変わっていません。観測開始当初から1989年までは、火山性の噴気がある大涌谷(OWK)を中心として、半径1km程度の範囲に二ノ平(NNT)、神山(KMY)、小塚山(KKY)、温泉荘(OSS)、下湯(SMY)の5観測点が設置されていましたが、1989年以後は外輪山まで観測点の配置が広げられています。当時の時刻校正はラジオの時報で行っていたため、絶対時刻の精度がよくなく、S-P時間を基に大森公式を用いた作図法によって震源を決定していました。1968年から1978年の期間の震源分布の特徴(図2)は、
- 大涌谷の噴気地帯を中心に、それから2km程度の範囲に集中。
- 深さ4kmより浅く、海抜0km付近が多い。
一方、2000年以降の震源域に注目すると、以下のような特徴が見られます。
- 中央火口丘付近での地震活動が多く、北は金時山、南は元箱根付近まで群発地震の震源域が存在する。
- 中央火口丘の東側では群発地震は発生していない。
- 中央火口丘西側では。外輪山付近まで群発地震の震域が広がっている。
- 北側ほど震源の下限が浅い傾向があるそれぞれの群発地震の震源域に空間的な相補性がみられる(2000年以降)。
図3は2000年以降の群発地震の震源分布です。(a)から(l)は群発地震のクラスターの位置を示しており、震源域は互いに重ならない傾向がある(相補的)ことがわかります。

図3 群発地震の震源分布図(2000年以降)
3. 震源位置のずれの原因
4. 震源域の推定

図4 推定された、群発地震の震源域
また、中央火口丘の東の領域には群発地震が発生しないといった特徴も最近の活動と同様の傾向があります。また、いくつかの活動域は、2000年以降の群発地震の震源域とほぼ同じ位置のように見えます。 マグニチュードは、震央距離が実際よりも近く推定されていたことを勘案しても、せいぜいM0.5程度のものが大半で、現在とほぼ同じであったと考えられます。

図5 箱根における地震活動